2011年12月30日

ブログ引っ越します

2012年1月からブログを引っ越すことにしました
といって、更新回数が増えるかどうか、わかりません…
http://dohokids.blogspot.com/
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2011年12月28日

12月の読書

いよいよ年の瀬
下のリストには、正月用に借りてきた未読分も含まれます
今年のベスト5くらい選んで、ツイッターで呟いてみようかな

フラット化する世界(上・下)* トーマス・フリードマン 日本経済新聞 2006
笑いの世界* 桂米朝×筒井康隆 朝日新聞社 2003
滝山コミューン1974* 原武史 講談社 2007
江戸のことわざ遊び* 南和男 平凡社新書 2010
天国旅行* 三浦しをん 新潮社 2010
「思春期を考える」ことについて* 中井久夫 ちくま学芸文庫 2011
演技と演出* 平田オリザ 講談社現代新書 2004
即興の解体/懐胎 佐々木敦著 青土社 2011
オバマは世界を救えるか* 吉崎達彦 新潮社 2009
目からハム* 田丸公美子 朝日新聞出版 2008
中国化する日本 與那覇潤 文藝春秋 2011
一般意志2.0 東浩紀 講談社 2011
宮本常一 旅の手帖* 田村善次郎編 八坂書房 2011
短歌はプロに訊け! * 穂村弘×東直子÷沢田康彦 本の雑誌社 2000

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2011年12月05日

南房総

はじめての南房総
こんな海の近くで同窓会をやろうなんて、幹事はだれだ?
とはいえ、太平洋は広い
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野島崎灯台から望む伊豆大島
えっと、こんなに近いんだ
ここから東京湾側に入ると、大きな富士山
写真は撮れず
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安房神社の境内にどんと立つ銀杏の木
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2011年11月29日

11月の読書

このブログぜんぜん更新してなくて、結局月末になってしまった
なんか、言葉が立ち上がってこない状態

珍しく最近刊行された本をたくさん読んでいる
しかも若手評論家たちの著作を

大津波と原発* 内田樹x中沢新一x平川克美 朝日新聞出版 2011
アメリカの論理* 吉崎達彦 新潮新書 2003
とめはねっ! (1〜8)河合克敏 小学館 ~ 2011
リトル・ピープルの時代 宇野常寛 幻冬舎 2011
食べる* 西江雅之 青土社 2010
ゼロ年代の想像力* 宇野常寛 早川書房 2007
歌の祭り* ル・クレジオ 岩波書店 2005
近代日本のナショナリズム* 大澤真幸 講談社選書メチエ 2011
日本の百年企業* 朝日新聞編 2011
舟を編む 三浦しをん 光文社 2011
ラーメンと愛国 速水健朗 講談社新書 2011

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2011年10月31日

10月の読書

絶望の国の幸福な若者たち* 古市憲寿 講談社 2011
 「僕たちが生きているのは一億総若者化の時代だ」という意見には同意せざるを得ない
田辺聖子の小倉百人一首 田辺聖子 角川文庫 1991
 古典への誘い手として、田辺聖子のほかに白洲正子がいるが、なぜは私は田辺聖子派
知られざる「吉田松陰伝」* よしだみどり 祥伝社新書 2009
エンジン* 矢作俊彦 新潮社 2011
君たちはどう生きるか 吉野源三郎 岩波新書 1982
 啓蒙書には違いないが、その日本語がすらすらと入ってくることに驚く
団地の時代* 原武史・重松清 新潮選書 2010
日本人は何を捨ててきたのか* 鶴見俊輔・関川夏央 筑摩書房 2011
イーハトーブと満州国* 宮下隆二 PHP 2007
日本の路地を旅する* 上原善広 文藝春秋 2009
金融NPO* 藤井良広 岩波新書 2007
孫は祖父より1億円損をする* 島澤諭・山下努 朝日新書 2009
ミドリさんとカラクリ屋敷* 鈴木遥 集英社 2011
新訳被抑圧者の教育学* パウロ・フレイレ 三砂ちづる訳 亜紀書房 2011
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2011年10月26日

オーディオ

この稽古場で音を鳴らしたらどんなだろう、
とふと思ったのが9月のあたま
すると、そう間を開けず、どこからか「古いアンプがあるんだけど、使ってみます?」
との声が届いた
確認にいくと、電源は入る様子なので、ダメ元で預かってきた
じゃあ、次はスピーカーだ
本部に新品ながら使われてないスピーカーがあったことを思い出し、
尋ねてみたら、「持ってっていいよー」というありがたいお言葉
早速借りてきた
アンプはLX33という真空管アンプ
上蓋を開け、層になったホコリを掻き出しながら掃除機で吸い取る
スピーカーをつないで電源を入れてみる
小さい音しか出ず、こりゃ故障かなと、入力切替スイッチをカチャカチャいわせてみたらいきなり爆音
慌ててボリュームを下げる
音源が無いので、これまた古いibookを引っ張り出してきて音源とする
これでオーディオセットの完成
ここまでで、10月の半ばにたどり着いてしまった

畳と木でできた空間に響く音はなかなかよい
貧相な音源も、真空管アンプを通すと、ずいぶん暖かくなる
ちょっと豊かになった気分

oi-audio201110.jpg

話はここで終わらないw
今度は、レコードプレーヤをあげるよ、という人まで現れた
おいおい
我が家では、レコードプレーヤを手放して久しく、だれかに譲ってしまおうかと、
数は多くないがレコードを持ってきたばかり
二度と聴くことがないと思っていたレコードの音をもう一度聴けるかもしれない

ふと思う、っていうのは、なかなか恐ろしい


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2011年10月25日

端境期

「端境期」をずっと「はすかいき」と読んできたような気がする。正確には「はざかいき」。以前、「唐突」を「からとつ」と読むと信じていた時期があって、「からとつ、からとつ」と連呼していた。みるに見かねた優しい友人たちが、連携してこの過ちを正してくれ、えらく恐縮したことがある。

 大井町稽古場は、ちょうどその端境期。この端境期がどれくらいの期間続くのか、ちょっと予断を許さない。人の移動を前提とする稽古場というエコシステムにおいては、一つの稽古場で稽古する人数が増減することは避けられない。大井町を担当しはじめて十年を超えるが、これまで何度もこういう時期はあった。しかし、今回は、複数の波が重なりあい、深い谷間を形成している。

 いうまでもなく、311の影響は大きい。この小さな稽古場にいながらにして、世の中がどのように動いているのか、手に取るようにわかる。いや連動している。人の動きが変わった。そして加速された。これはもう疑いようのないことで、日本という国もまた大きな端境期に入りこんでいる。このような端境期を、さてどう過ごすべきか。

 とはいえ、こんな時代でも、新しい命は生まれ、生まれた命は育っていく。ちっちゃかった女の子は、あっという間に、お年頃になり、恋する季節が始まる。そんな姿を見ていると、いいな〜、と思う。美しいと思う。そして、このような人生に立ち会うことだけが、自分自身の拠りどころとなる。

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2011年10月23日

連句

ツイッターで知り合った方を講師とする「ネット連句の楽しみ」(町田市民文学館主催)という会に出席してきた。連句の仕組みをさらっとおさらいするだけで、たっぷり二時間。これまで本からの知識とし知っていた事柄も、経験を積んだ人の口から発せられると新鮮。花の座の扱いとか、これまで曖昧模糊としていたものが整理されて肚に収まった。この町田市民文学館、これまで、連句関連の講座を開催してきた実績があるらしい。町田市民でなくとも参加可という太っ腹なところがありがたい。

それにしても大井町稽古場での連句会発展の過程は相当に特異だなぁ〜と思う。筆動法・気韻発声の稽古の題材として俳句を用い、また「おくのほそ道」を書いているうちに、「芭蕉ってほんとは連句の宗匠だったんだって」という話から連句に入り込み、「これってどう展開してるわけ?」と興味を持つうちに、どんどん深みにはまっていった。無謀にも猿蓑など訳もわからず読み、そして書いてはみたが、まず、言葉を知らないw。なかなか「三人寄れば文殊の知恵」という風に事は運ばず、「船頭多くして皆道に迷う」ことの方が多かった。それでも、連句の持つ面白さだけは着実に浸透していった。

とにかく、五七五に七七を付けるところから始めてみようかと、稽古場の受付に空欄の用紙を置いてみた。いわば連絡帳方式。五七五が二回続いたり、破茶滅茶といえば破茶滅茶だったが、出入りする人が次々に書き込み、二ヶ月で歌仙もどきひとつ巻き上がってしまった。それが二年前。これならmixiを使ってもできるのではと、ネットでもはじめてみた。これはこれで、楽しい。ネットリテラシーというハードルはあるけれど、時間を問わないところがよい。考えて考えて、前の句につけたら、すでに先客がいて残念な思いをするなんてこともあった。ここは月の座、ここは花の座と、連句のルールも少しづつ導入していった。歌仙についての書籍、小説の類が、稽古場の中をグルグルと回っていた時期でもある。

こういう経緯は、特異ではあるけれど、ひょっとすると王道かもしれない。俳句など、どっかの結社に加わり、そこの先生諸先輩に手ほどきをうけるというのが、ごく普通の道筋かとも思うが、こうして、素人集団が、先生もなく、唯一、稽古場という身体技法を学ぶ場を共にする仲間で、自分たちの感覚を掘り下げていくという手法もあってもよいのではなかろうか。なんせ、ここは、人と人との間に生まれる感覚探求をテーマにしている場なのだから。

若い人たちが、連句・俳句を中心にした機関誌を準備しているらしい。タイトルだけは、すでに決まっていて、『のんき』。順調にいけば、年内にも発行に漕ぎつける予定。これは楽しみだ。

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羽織

休日に電車に乗ると否が応でも休日モードの大人たちと出くわすことになる。20代より団塊世代のほうがジーンズ着用率が高いという僕の観察眼が正確かどうか100%自信があるわけではないが、そう外れてはいないはずだ。

60代とおぼしき人達の若者か年寄りかわからない服装が気になって仕方ない。もちろん格好よくジーンズを履きこなしている人もいるけれど、どっかでとっちゃん坊やみたいな中途半端さー文化なし、みたいな感じになっているのが大半だ。他人事ではなく、僕自身、30代、40代、50代と歳は食ってきたのに、服装的にいえば、まるで進化がない。出来の悪いサライファッションに陥っている。

稽古着生活に移りたいと思いながら、それもなかなか進まない。稽古着だけというのは、ちょっと無防備な感じで、外を歩くにはためらわれる。今年の夏は、麻の稽古着を仕立ててもらい、麻のベストも手に入れられたから、外を稽古着で歩く機会も少し増えた。季節は秋。よい感じの、羽織があればと思っていたのだが、そのよい感じの羽織というのがなかなかない。

僕がW商店と読んでいる古着屋さんがいる。そこで、やっとそこで良い感じの羽織と出会った。古木綿の縞の羽織。洗いざらしの感じがとてもよい。結局は生地なのか、と思うくらい肌触りがよくて、羽織っていて軽い。この人は目利きだわ。いつか見せてもらった結城紬の長着など、空気をまとってるみたいで、サイズ違いなのに思わず握りしめていた(笑)。

あとは、足元か。下駄、草履がスタンダードなのだが、満員電車に下駄履きというのは、時々あぶない。SouSouの地下足袋という手はあるのだが・・・。

普通に稽古着で外を歩くようになるまで、あと一歩。

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2011年09月29日

9月の読書

思想地図 beta vol.2 震災以後 2011
 これまであった「ゼロ年代」論客に対する違和感がなくなった
 震災によって壁が壊れたらしい
北朝鮮へのエクソダス テッサ・モーリス・スズキ 朝日文庫 2011
 大作。これまで、自分の中にあったバラバラな情報の断片をしかるべきところに納めてくれた。しかし、この時期にこの本を手にしてしまったということは、やむなく(表面的には自発的に見えたとしても)、生地を離れざるをえなかった人たちと、震災によって故郷を離れざるをえなくなった人たちが重なって見えたからかもしれない。そして、他人事ではない。
無国籍 陳天璽著 新潮文庫 2011
人生をいじくり回してはいけない 水木しげる 日本図書センター 2010
上手な逝き方* 嵐山光三郎・大村英昭 集英社新書 2010
脳と日本人* 松岡正剛・茂木健一郎 文藝春秋 2007
 私が苦手とする二人の本もたまには読んでみようかと手にしたが、
 やっぱりだめだったw
日本語に主語はいらない* 金谷武洋 講談社選書メチエ 2002
貧乏はお金持ち* 橘玲 講談社 2009

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2011年09月09日

同意

Tくんとの個人教授は、ここ何回か愉気の稽古
月末にヨーロッパに住んでいる家族の見舞いに行くそうで、
それなら最低限の愉気くらいできるようにしていきなさい
という私なりの老婆心
普段は触れる側に回っているから、愉気を受けるというのは
私にとっても、よい勉強になる

愉気といっても、稽古場式の愉気であるからして、
手に気を集めるということはしない
触れれば愉気、みたいな安直な世界ではない
人が人に触れるカタに入るためにどれだけの配慮ができるか、
ということだけが問題になる

受けてみると、
愉気とは同意なのだ
ということがわかる
私があなたに同意するといった些細な同意ではなくて
同意ーーー。の世界
でも何に同意してるんだろうね

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2011年09月07日

賞味期限

震災から半年
「賞味期限」のことばかり考えていたような気がする
東京の賞味期限、自分が所属する組織の賞味期限、仕事場である稽古場の賞味期限
そして自分自身の賞味期限・・・

震災によって、変化が加速した
震災によって、潜在していたものが顕在化した
そして、多くのものの賞味期限が一気に切れた

東京の賞味期限が切れた
大づかみにいえば、これは当たっている
しかし、丁寧に見ていくと、賞味期限が切れたもの、そうでないもの
両者が斑状に存在していることがわかる
これは、すべてのことについて言える

私自身の賞味期限
多くのものが一気に切れた
そのなかで、まだ残っているものはなんだろう
ここ半年、そんなことをずっとやってきた

posted by dohokids at 23:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする