学生運動のニュースがテレビを通じて伝わり、水俣病に代表される公害が社会問題化していた。そんな時、技術屋として社会に出ることをよしとしない十代の私がいた(モラトリアムという言葉が流行るのはもう少しあとである)。その当時の私の親の年齢はまだ40代。親のことなどなにも考えてなかったな。日本人にとって、海外が身近になってきた時代でもあった。でなければ、片田舎にすむ少年が海外に行こうなどと考えもしなかったであろう。つまり、高度成長期を経て日本という国が金持ちになりつつあった時代であったわけだ。CIEE(いまでもあるんだ)のチャーター便で羽田を飛び立ち、アメリカ西海岸オークランドに地に降り立ったのは1973年8月末のこと。羽田まで両親、妹、友人たちが大勢見送りに来てくれた。まだ、その程度には海外に行くことは一大事でもあった。一ドルはまだ300円であった。
(続く)
posted by dohokids at 09:38|
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70年代
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